脳内整理ノオト

脳内を書き出せるか日々確認していきます。

#3 最近のアニメからいつも学んでいる。

昭和生まれの私にとって、”アニメ”という概念は、時代を経て様々に変遷してきたと感じられるもののひとつである。

私が小学生くらいの頃は、夜7時くらいは子供向けのアニメがたくさんやっている時間だった。ドラゴンボールドラえもんサザエさんなんかは日曜と火曜の2回やっていたし、キテレツ大百科なんかもみんな見ていた。しかしいつの間にか、アニメは子供の見るものではなくなり、一部のコアなファン(端的に言えばオタク)のものという認識になって行ってしまったと思う。

しかしまた、近年になって、アニメのクオリティは飛躍的に向上し、また多くの人々が見るものになってきたのではないかと思う。私はどちらかというとアニメは苦手で、漫画のほうが好きなのだが、最近はまた作品によってはアニメを見るようになった。

私の家にはたくさんの漫画があり、好きなものは新品を買って読む。小中学生の息子たちにアニメを見せることもあるけれど、あまり好きではないといわれ、結局息子たちも紙の漫画を読んでいる。

アニメより漫画を好む理由について、夫と話し合ってみたことがある。漫画というのは、自分の思うペースで読めるが、アニメは映像のペースで見せられるというのがあるのではないかという結論に至った。

最近の良作と言われている「鬼滅の刃」は漫画をすでに我が家では読んでいたのだが、その後追いでアニメを見ると、こんな”間”ではないと違和感を感じてしまうことがまれにあったりした。声に違和感を感じるという要素も似たような感じなのかもしれない。

原作付きのアニメを見る時に、やはり自分の思うスピード感があって、それと違ったときに、やっぱりアニメはいいかな、という思いにさせられてしまっていたのかもしれない。

 

そんな私でも、「呪術廻戦」と「チェンソーマン」は原作付きアニメとして違和感なく見られている数少ない作品たちである。奇しくも、この二つはアニメーション会社MAPPAの作品であるという共通点がある。私がこの二つを好んでみる理由は、「動きが原作そのものである」という理由である。

漫画は静止画である。だから、そのキャラクターたちが動いていることは脳内補完しているわけだけれども、その保管部分の動きが、私の脳内とまるで一緒なのだ。それは、制作側の作品に対する解像度がとても高いということなのではないかと考えている。


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これらが顕著に表れているのが作品のオープニングである。オープニングでは原作にない動きや場面も多くあらわれてくるが、そのキャラクターが間違いなくするであろう動きをしているのである。この、繊細で情熱にあふれた制作者の意思が、私の心を揺さぶってくるのだ。

安い製作費でも作品が有名なら見てもらえるとか、どんな作品でも声優が良ければ見てもらえるというような時代は終わった。原作付きのアニメならば、作品を誰よりもリスペクトし、理解をして、その内容をいかに映像で表現するのか、ということに誠意を払えば、多くの人が称賛する、ということに到達するまで、多くの時間を要したのではないかと感じる。

平成の時代、不況でなんでも安く消費する時代から、コロナ禍を経て、令和の時代、本当に良いものを選んでみたい、手に入れたいと思うようになったと思う。よい作品が正当に評価されるということは本当に良いことだ。

ガンダムシリーズも、また気合いが入った作品が作られていることに喜びを感じている。水星の魔女も、宇宙世紀シリーズではないが、丁寧に作品を作ろうという気概を感じるし、映画閃光のハサウェイなども、一ミリの隙のない戦闘シーンなどは圧巻である。


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何はともあれ、中年になってももう一段階上のクオリティの作品たちに巡り合えるのは幸いなことで、もう新しいものなんて…と思った瞬間にこれらに出会えなくなってしまうのはもったいないことだと思っている。

もうすこし、時代の流れを広く受け入れ、どうか凝り固まった老いをしないことを意識したいが、はてさて。